はじめに
今、声優業界には様々な業界の方が仕事にやって来ます。顔出しの役者さんを初めとして、タレントさん、ミュージシャンや芸人さん、アスリート等々……気付けば俳優としてのスキルのない方までやっていらっしゃいます。既にアニメ・海外作品・ゲーム・ナレーションなど多くの声の仕事で、演者は声優である必要がなくなっています。だからと言って、私は間違ってもそれを悪い事だとは思っていません。
声優ならではの表現
むしろこうした中で『声優と呼ばれ、マイクの前で演じるための技術や感性にこだわる意義とは一体何だろうか?』と考えるようになりました。『声優ならではのパフォーマンス、他の業界の方々が簡単には真似の出来ない表現方法があるのだろうか?』と……。
その答えの1つがライブパフォーマンスとしての一人語りです。「別に声優じゃなくても一人語りを演る方は沢山いらっしゃるでしょう?」と言われれば、おっしゃる通り。しかし、マイクの前と言う極めて不自由かつ特殊な環境で演じ続けてきた者ならではの技術や経験が一人語りなら生かせるのではなかろうか。そこに差別化に繋がる何かがあるのではなかろうかと考えるようになりました。
朗読劇から語り芝居へ
俗に声優は『映像に合わせてしゃべる仕事』だと思われています。それは間違いではありません。ですが、その切り口だけでは声優を定義できない現状があります。そんな中で私は「言葉の力でお客様に映像を見て頂く事が本質ではなかろうか」と考えるようになり、「映像が見えた」「音が聞こえた」「香りを感じた」「手触りが伝わった」などと言って頂く事を目差すようになりました。
そうしたこだわりを追い求めるために自ら脚本を書き、音響照明システムを作り、自分なりのスタイルを練り上げてきました。2012年に始めてから暫くは朗読劇スタイルでしたが、2015年以降は台本を持たずに語っています。そして公演を見てくださったお客様から「一人語りなのに、まるで大勢が出ている芝居を観ているようだ」と言う感想を多く頂いていた事から、今は便宜的に『語り芝居』と呼んでいます。
これまでに上演した作品の感想はこちら
- 注)『語り芝居』と言う言葉を最初に使い始めたのは石野竜三ではありません。また演劇界において明確な定義がある言葉でもないと言う立場なので、便宜的に『石野竜三の語り芝居』と表記しています。
会場にてお待ち申し上げます!
私は一人でも多くの方に『生で語られる言葉の力』を感じて頂きたくて公演活動を続けています。また今はそれが、声優と呼ばれる事を受け入れている唯一の理由のような気がします。
もしも、こうした活動に興味を持って頂けましたなら、是非とも会場にお運びください。そしてアナタの目で、耳で、肌で感じて頂きたいと思います。声優と呼ばれる者の表現が、それ以外の表現者と違うのか、それとも違わないのかを……。会場にてお待ち申し上げます!